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道頓堀河畔宗右衛門町の料理屋にて。
大阪支店でバンカー人生5年目の久次米君(右)と2年目の瀬部君(左)と上村先生(前?)。
今日は、タイガース優勝騒動も一過のあとの静かな宗右衛門町で、相合橋を見下ろしながら「日本経済」について侃々諤々、喧々囂々?丁々発止、和風懐石、美味満腹。
「イーズの後輩諸君、頑張ってますか?
中小企業をいかに活性化出来るのか、これが私たちのいまの課題です。日本経済の根幹部分で闘っていきます。皆さんも夢や課題に向かって頑張ってください。」
こら、総理大臣、きいてんのか。ほんまに。涙出てくるわ。
2003年10月
言わずと知れた、イーズのバイオリニスト、瀧花絵里子さん。関西チャンピオンの経歴の持ち主。毎日が地獄のレッスン、勉強の繰り返し。
「恋する暇もありません。」
「ほんまか」
「ほんまです。グスッ。」
「よい音を出すために、悲しい恋の1つや2つ、せないかんのとちゃうん? 次のコンサート聴きに行くけんな!」
2003年8月
広島大学教育学部ミニミニコンビ。左が中学生(齋藤さん)、右が小学生(藍原さん)ではなくて、の先生になる予定。バイトにサークルに授業に、と大忙しな2人ですが、その合間を縫って恩師に会いに帰ってきました。
「妹たちもよろしくね。」
「妹の方が年上に見えるのはなんでや」
「知らん。プンプン。」
 2003年8月
「帰って参りました。帆足であります。」
「おかえりなさい。うっ、うっ、上村であります。…なんでドモるねん。」
「僕はいたって元気であります。しか〜し、訓練はきついのであります。しか〜し、国と国民のためにがんばっております。しか〜し、彼女ができないのであります。しか〜し…」
「もうええわ、黙っとれ。とにかく、命のある限りがんばれ。」
「ありがとうございます。がんばるのであります。」
…爽やかな青年になっていました。
2003年4月
 苦節1年。志を果たして帰ってきたのに、何で「ヘッドロック」?
上村:嬉しいて堪らん時は、いつもこうなんじゃ。
思えば1年前、涙をこらえて、「行ってきます。男になるまで帰ってきません。」(女だったんか?)
覚悟の台詞を残して高松の某予備校へと旅立ちました。奇蹟の逆転で香川医科大学医学科に合格しました。周りの皆さんに心配をかけてしまいましたが、これからの努力で恩返しをします。現役時代に勝瑞校まで通って学んだ「小論文」と「ディベート」が1年後に当たりました。皆さん、人間は負けたときに自分の本性が分かるものです。ファイティングポーズをとり、歯を食いしばって頑張れば、栄冠は必ず手に入れられます。偉そうなことは言えませんが、これが僕の人生訓です。イーズ魂は、永遠に不滅です。
 藤井徹朗君 2003年3月
 私、帰って参りました。友人の結婚式のついでに、あっ、いや、懐かしさのあまり、ほら、おみやげもこんなにいっぱい持って(汗)。あれは、忘れもしない、んーっ、いつだったっけ。(忘れとるやないかい!)あっ、6年前、数学講師をしながら苦学の上、徳大歯学部を出て、歯科医師として神戸の地へと旅立ったのでした。長ーい話になりますが、結婚して、子供二人できて、2年前に開業して、今に至りました。(早いやないかい!)西宮市甲子園八番町の「長田デンタルクリニック」です。関学、あるいは通りすがりの皆さん、いつでも診療に来てください。「ぴたっ」と治します。なお、「E'sアカデミー」と言っていただければ、「笑顔」のサービスが付きますので。先着1万名様までです、はい。でもまじめな話、職員の皆さん、生徒の皆さん、私の知っている「E'sアカデミー」の伝統を受け継いでくださって、ありがとう。「分かるまで・受かるまで」の精神で、これからも頑張ってくださいね。甲子園の地より、応援しています。
 長田卓央さん 2003年2月
勝瑞14卒・かかってこんかい
左から、よーこ、なおこ、かっちゃん、みっきー、みかりん。
みーんな、勝瑞14年卒。あれ、だっ、だっ、誰やこの、おば、あっ、いや、おねーちゃん。 というわけで、帰ってきましたよ。幸せにしてますよ(真ん中の人は別、表情に出ちゃいますね、ほんと)。
まっ、青春ですから、苦しいときもあれば、楽じゃないときもあるって。頑張れ、かっちゃん、涙を拭いて。またいい人が現れるって。(ほんまは、知らん)
2003年2月
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