第1話 幸せいっぱい
 通称ミケンことモリタは、イーズアカデミーに入社時、カナヅチだった。上司でもあり同僚でもある、通称バイオことヤマモトと、通称ダッシュことヨシダの両名による強引且つ巧妙な策略により、2004年、四国進学会水泳部員として登録され、大会にエントリーされてしまった。ミケンは、6月に行われた初めての大会で25フリー(白由形)をカナヅチであったにもかかわらず17秒で泳ぎ、根性と運動能力の高さをアピールした。同年7月には長水路(50メートルプール)での大会にエントリーされ、50フリーを泳いだ。が、しかーし、48秒という醜態(本人曰く)をさらしてしまい、雪辱に燃えることとなった。が、悪人バイオ&ダッシュは次なる試練をミケンに与えた。それが、2005年3月に行われた大会の1ヶ月前に、泳いだこともないバタフライにエントリーするという暴挙だったのだ。ところが、ミケンは、これも22秒で泳ぎ切り、このハードルをクリアした。同年6月には、25フリーは15秒まで伸ばし、25バタフライは18秒にまで伸ばしたミケン。彼の中で別人格として広く名前を知られることになった《ミケン》とともに、着実に成長したのだ。2005年からは、同じく上司且つ同僚である通称ハイパーことイチハラが、やはりカナヅチにもかかわらず、やはりエントリーされた。ハイパーもデビュー戦を17秒で泳いだのだ。そして、長水路で行われた7月の大会。ここで、ミケンは昨年のタイムを何と12秒も更新する36秒で泳いだ。ハイパーも42秒。着々と皆が皆、「泳ぎたい」とも思わないうちに、実力をつけつつあるのだった。

 しかも6月に行われた大会では、ついに4人揃った四国進学会チームはメドレーリレーに初挑戦したのである。バック(背泳)がミケン、ブレスト(平泳)がバイオ、バッタ(バタフライ)をダッシュ、そして、アンカーのフリーをハイパーが泳いだ。当初、バイオは、そこそこ戦えると考えていたのだが、本番、大きな誤算が起こった。第1泳者であるバックのミケン。これが、びっくりするくらい遅かったのだ。遅くとも20秒前後で泳ぐだろうと考えていたバイオだったが、ミケンは32秒もかかってしまったのだ。ちなみに、隣のコースを泳いでいた友好関係にあるTSD(徳島スーパードルフィン)のバックは元オリンピック選手のバンデワーレ氏。タイムは13秒である… 。この結果に、バイオ&ダッシュが激怒した。

バイオ 「おいっ、ダッシュ。これは、ミケンにさらなる試練を与えねばなるまい」
ダッシュ 「当然です、むふっ」
バイオ 「では、今度は、平泳ぎかな、ダッシュよ」
ダッシュ 「んっ? これで、4種目全部ってことは…むふむふっ」
バイオ 「まさか… 」
ダッシュ 「むふむふむふっ」

 このような会話によって、ミケンのコンメ(個人メドレー。バッタ・バック・ブレ・フリーの順番ですべて泳ぐ)への挑戦は、無論、本人不在の場所で決定した。
 そんなこととはつゆ知らず、2人目のベイビィが誕生したミケンは…

ミケン 「オレって幸せいっぱいや…」

と、呟いている。

 ミケンよ、幸せいっぱいの君に、バイオ&ダッシュの魔の手が迫っているぞ。

続くらしい)

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