2004年度 全国実業団水泳大会 in 秋田 |
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| 7月25日に行われた、徳島県勤労者大会後、バイオ山本はあまり多くを語らなかった。実際、当ホームページ上でもバイオの記述がほとんどない。どうやら、バイオは翌週7月31日〜8月1日に秋田で行われる全国実業団水泳大会後に、なにやら夏を総括するらしいと聞き、今年も、大会を終えて徳島に戻ったバイオを直撃したところ、バイオは黙って日記を差し出した。バイオに似合わぬ穏やかな微笑をたたえながら。 | |||||||
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《日記》
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| 7月29日(木) | |||||||
| 私は、かれこれ20年前の回想に浸っている。
20年前、高知県において高校1年生だった私は、水泳の四国大会のために蔵本のプールにいた。200メートルの平泳ぎで4位ながらも標準記録を破ってインターハイへの出場を決めたのが、1984年7月のことだった。思えば、学業に専念するために、私立の進学校に入学した私だったが、部活動への思い、断ち切れず、インターハイへの出場にこぎつけたのだった。しかし、私の通っていた学校は当時、遠征費としては「国鉄」(今のJR)の急行を使用する値段を援助する、というケチな学校だったので(進学校なので、あまり全国大会に出場する選手が多くなかったのだったが……)、高知から秋田まで「国鉄」を使って22時間をかけて行ったのだ。それだけでなく、初日の200平泳ぎを終えて、その日の晩に大阪までの寝台列車で帰ったというハードスケジュールだった。結果は37位だった。無論、予選落ちであった。 今回、当時と全く同じ過程で秋田の大会に臨む。まさか、20年前は徳島に住むことになろうとは思いもしなかった。蔵本で泳いでから、秋田へ、という過程が偶然とはいえ同じであることに、何やら縁を感じずにはいられなかった。 だが、今回は会社の好意により快適な空の旅。ルンルンである。やや体調を崩しぎみであったが、蔵本で、そこそこのタイムを出すことができた。1分17秒59は、この3年間、蔵本では最も遅いタイムであった。2年前が1分17秒41。1年前が1分17秒49。で、今年が1分17秒59である。しかし、私は、7月の21日くらいから発熱し、完泳することさえも危惧していたので、安堵感を覚えた。しかも、蔵本では、全力で泳ぎすぎて、翌週に疲れを残したくなかったので、前半を軽めに、そして、後半だけ頑張ってみたのだ。これなら本番は、少し無理してもよさそうだ。 空港着。E'sの卒業生で、現在は秋田大学医学部3回生で、なおかつ水泳部に所属しているという田村大輔君が迎えに来てくれた。プールまでの案内を乞い、だが、前々日の阿波校で発熱していたこともあり、場所だけ確認して、あとは、田村君と夕食をともにした。彼の案内で比内地鶏の店にゆく。うまい。 さあ、明日は頑張って泳ごう。 |
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| 7月30日(金) | |||||||
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フェーン現象で、昨日から秋田は暑くてたまらん。去年の沖縄も暑かったが、それはそれで最初から覚悟をしていたのでなんとかなった。が、秋田、である。37度の東北地方など、想像できようもない。 プールでアップする。冷たくて泳ぎやすいプールだ。 たまに、息が苦しくなり、心臓が相変わらずギュイーンと鳴るが、おそらく、それは、今年の体重のせいだろうと一人で納得する。そう、今年、私は体重減量作戦から、増量作戦へと変更したのであった。去年、最少で74キロまで落とした体重。今年は86キロなのである。普段の生活では息が切れたり、足(特に膝)を痛めたりするものの、パワーは去年よりありそうだ。身体の重さをごまかしさえすれば…ではあるが。 とりあえず、1000メートル泳いで、帰る。明日はいよいよ100メートル平泳ぎ。去年ホームページで「来年は16秒台」などと吠えたことを後悔しつつ、寝る。 |
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| 7月31日(土) | |||||||
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朝からニュースでは台風の話題ばかり。一方の秋田は快晴。今一つ実感のわかぬまま、プールへ。 |
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さて、レースに向かおうとしていると、前々日、世話になった田村君が役員としての仕事の合間をぬって、応援&撮影に来てくれた。頑張らねば、と気合いを入れる。 レースは7組8コース。30歳以上の部に80人もエントリーしていることが信じられない。全10組である。エントリータイムの遅い順に並んでいくので、私よりエントリータイムの速い選手が、31人もいることになる。ぞっとした。が、そんなことに気を取られていてはいけない。 集中。 今日はストローク数を気にしながら泳ごう。途中、25までで6回。そこから、8回で泳ぐことを心がけて。 スターターのピストルに合わせて、今回はまっとうなスタート。 んっ? 冷たいけど……なんだか調子いいぞ。慌てるな。慌てたらあかんで。自分に言い聞かせながら、ストロークに気をつけて泳ぐ。前半は36秒55。8人中6番目。とばしたいっ、いや、まだ早い…という葛藤を繰り返しながら、ラスト25メートルに差しかかった。まだまだ心臓は生きている。よっしゃ! ここから全力でピッチを上げた。隣りを交わし、目の前が真っ白になったところで、ゴール。タイムは…… |
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晩、あまりの嬉しさに、田村君とまたもや夕食に。うまかった。最後にちょこっとだけ「秋田美人」「小町」なるカクテルをいただく。明日の50も頑張るで。 |
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| 8月1日(日) | |||||||
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どちらかと言えば苦手な50平泳ぎ。高校生の頃、200でしかインターハイに出たことがなかった。200だからこそ、国体でも決勝に残った。100が苦手。50は、もっと苦手だった。今でもスプリント能力に欠如する私は、短距離が、本気で苦手なのだ。この6年間、あまりにもタイムが出ないので3年前の千葉と2年前の富士では50バタフライに浮気をしたくらいである。 | ||||||
| 8月1日(0:00)の天気図。 | |||||||
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朝、9時54分〜のレース。気持ちが従来よりも昂ぶっている。燃えている。が、空回りは危険だ。やはり、大きく泳ごう。でも、今日は、やはり感慨に浸りそうな予感。というのも、5組の5コースで泳ぐのだが、4コースで吉本さんという高知の3つ上の先輩が泳ぐのだ。実は、この方、私が200平泳ぎで高知県中学記録・高校記録・県記録を出した時、前記録保持者だったのだ。いつも、吉本さんを追い掛けていた。しかも、この吉本さん。中学3年の時に日本中学タイ記録を出したのが50平泳ぎだった。その吉本さんに初めて勝ったのが、やはり1984年の高知県選手権だった。あれから、20年。やはり、いろいろと縁のある年なのだろう。 レースは、センチメンタリズムに負けず、大きく泳いだ。結果、34秒69は、やはりこの7年間、最速タイム。衰えつつも、何とかふんばった。95人中39位だった。頑張った2日間。だが、それもこれも、理解ある会社のおかげやなあ、と思っている。 帰り。飛行機。機内放送の洋楽にチャンネルを合わせていたら、20年前の曲で、私の最も「燃える」曲である、DON HENLYの「The Boys of Summer」が流れていた。最後まで、「縁」を思いつつ、来年の長野での全国大会は、絶対にダッシュ吉田と行こうと決意していると、乱気流の中、飛行機がジェットコースターのように着陸。旅が終わった。 |
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| いつものバイオと違って、真面目な印象しか残らないが、彼にも「シンミリ」した感情が残っているのだろう。来年、バイオとダッシュ(来年は30歳でっせ)が、きっと長野で伝説を作るだろう。 | |||||||
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