2002年10月12日

4時限目の授業を終えて、愛車に乗り込む。因幡へ向けて350kmの移動だ。
今年で5回目、つまり『万葉集朗唱の会』皆勤賞が続いている。
初回は、万葉集についての調べ物をしているとき、この会の開催を偶然目にし、野次馬根性丸出しの動機で参加。
当時鳥取大学医学部1回生早淵君に撮影依頼をして、万葉歌人の衣装に袖を通した。
2回目は、大型台風と一緒に北上、スリルとサスペンスよろしく台風の目の中を走った。
3回目、10月6日の鳥取大地震の2日後、道路の崩壊におびえながら、家族の心配も物ともせず参加。東部は揺れが微小であったため当方の予想よりも現地の人々は落ち着いていた。
4回目、中国自動車道の高速交通機動隊の方々と、夜中の2時にハイウエイ上で懇談? したっけ。
などと思い出にふけりながら0時30分予約のホテル到着。実は1ヶ月前に定宿にしているホテルに予約を入れたところ、
「生憎ですが、お泊まりいただけません」とツレナイ返事。
「満室ですか?」と聞いたところ、
「いえ、そう言うわけでは……」と歯切れの悪い返事。仕方なく向かいのホテルを予約。第17回国民文化祭の会場となっている鳥取市。開会式に参加した皇太子殿下がお泊りだったとは、翌朝の物々しい警備で納得。でも、寝心地とセキュリティーはまずまずだった。
10月13日

目覚めたら昼。思いついたのは、福部町はらっきょの花の名所だということ。紫の小さな花の群落を見たかったのだが、時期尚早。コスモスの花がらっきょの蕾をバックに揺れていた。広大な砂地に満開のらっきょの花が咲き誇るのは10日後とのこと。
隣接する鳥取砂丘ではパラグライダーの鮮やかな色が、日本海のブルーに美しく舞っていた。
わらべ館では郷土の玩具展を開催中。民芸品のお面をしばし鑑賞。
昼食後、因幡国庁跡を訪ねる。萩の花が終焉を迎え、ススキ・女郎花、秋の七草が真紅の柱の向こうでそよいでいた。
8世紀の万葉人が国守を勤めた跡地。吹き抜ける風に、万葉人のロマンを感じた。
砂丘 わらべ館 お面 因幡国庁跡
梶山古墳、岡益の石堂を訪ねる。岡益の石堂は、安徳天皇関連の石堂でエンタシスの形を風化させないようにテントで覆われていた。四方に巨大石壁を持つ神秘のベールに包まれた山陰最古の壮大な石造物。明治時代に安徳天皇御陵参考地に指定された。瀬戸内海に散ったはずなのに。宮内庁管轄とあれば、文句も言うまい。
岡益の石堂前
布引の滝と鳥取県最大の雨滝は、豆腐料理専門店の上流に位置する。といってもどこだか分かりませんよね。でも、豆腐はおいしかった。
布引の滝
隣接する2つの滝は、女性美と男性美の対照が際だっており、自然の偶然性に感服の次第。
雨滝
10月14日

やっと定宿に泊まる。昨日の穴埋めか、頼んでもいないのにツインルームを用意していただけた。機嫌も直った。
午後からは、万葉歌語りコンサートとシンポジウムに参加。岡本さんの歌声は美しく、中西先生以下、5名の先生の基調講演は素晴らしいものであった。
岡本さんのコンサート 中西先生
曲水の宴
天理大学雅楽部の学生による伎楽を堪能。「日本書紀」の推古天皇20年(612年)に百済から伝習されたという伎楽。獅子奮迅と題された出し物と、曲水の宴での水に揺れる短歌は、天平時代の大和心を蘇らせてくれた。
伎楽の酒飲みの王様
平安の安息に浸りながら、古代食を食べていると、係の人が何人かで私を捜している様子。プログラムが進行しすぎて時間が1時間繰り上がったとのこと。急ぎ衣装を身につけ、壇上に。大伴家持の歌を3句朗唱。
楽屋風景 朗唱風景
宮本武蔵の墓 武蔵神社 宮本武蔵の生家
夕刻、宮本武蔵の生誕の町大原を訪ねる。武蔵神社、武蔵の墓、武蔵の生家。NHKの威力か。
かくして、2002年第17回鳥取国民文化祭万葉フェスティバル宮本武蔵紀行の旅は終わる。
日常に忙殺されがちな自分を、リフレッシュさせてくれる鳥取の旅。
鋭気を養い、後期の授業にいっそうの磨きをかけてがんばろうっと。(上村)
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